今後、実装して欲しいゲーム版ウマ娘でよく名前に上がるのが「ホーリックス」。
私もこの馬のファンで、
ウマ娘→オグリに興味を持つ→89年ジャパンカップ
でその存在を知り、JRAのCMでトドメを刺された。
JRAのCMは動画サイトなどで探せば出てくると思います。
「世界を変えるのに3分もいらない」ですか。
厨二病っぽくもあるが、かっこいいものはかっこいい。
ある種、ライスシャワーっぽい健気さもあって、キャラが立っている。
ホーリックスにまつわるエピソードはネット上で探せばいろいろ出てくると思うが、ここでワイもちょっとばかり語るンゴ。
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ホーリックスは、1983年にニュージーランドで生まれた芦毛の牝馬(ひんば。雌馬のこと)。
母の馬名が Malt だったため「麦芽」つながりで、麦芽飲料の Horlicks からその名が取られた。
なお、飲料の方のホーリックスはこのような飲み物なようです。
睡眠促進作用のあるココアのような飲み物っぽい。
競走馬の方のホーリックスは初出走前にはまったく「走らない」馬だったという。
実際、ニュージーランド(新国と表記されることもあり)でもクラシックはあるはずなのだが、新国クラシック戦線では結果は出なかったようだ。
が、(おそらく)真面目な性格が幸いしたのかトレーニングを順調にこなし、5歳時(今の4歳)1988 年春には G1(TVニュージーランドステークス) を初制覇するまでに至った。
ちょっと戦績を調べたが、ここまでで17戦して1着7回・2着3回。
「使いながら強くなっていった馬」だと思う。
わずか4戦で神話になった『超光速の粒子』アグネスタキオンのような馬もいるけれど、それとは違ったタイプの競走馬なのだ。
アグネスタキオン自体も、そのJRA CMもかっこいいですけどね。
それはともかく、年が明けての6歳時(当時。今だと5歳)になっても好調を維持し11月4日にオーストラリアで開催されたマッキノンステークス(G1)にも勝った。
そして、11月26日のジャパンカップに出走するために日本に乗り込んできたのだった。
ジャパンカップでは、それまでオセアニア馬が活躍していなかったこともあって9番人気と人気薄。
もっともこの年のジャパンカップは豪華メンバー目白押しで、日本からはオグリキャップ・スーパークリーク、アイルランドからは凱旋門賞馬キャロルハウス、アメリカからは快速馬ホークスター・前年度優勝馬ベイザバトラーなどが出走している。
オセアニアの地味目の牝馬に世間の注目が集まるはずもなかった。
JRA CM 冒頭のナレーション「踊りでろ、お前を知らない者たちの隙をついて踊りでろ」はこのエピソードに因んでいると思われる。
ただし、陣営はこの一戦に相当な意気込みを持って挑んでいたようで、もっとも早く日本入り。
検疫の馬房でホーリックスが一頭で寂しかったため、鏡を吊るして気分を紛れさせたというエピソードもよく紹介されている。この逸話は、関係者の意気込みやホーリックスの性格をよく表しているようにも思う。
そして迎えたジャパンカップ。
今でも競馬ファンの間では語り草になっているようだが、本当にどの馬も「勝ち」にいったんだなと思わせる熱い内容だった。
まずイブンベイのとんでもない大逃げ。
他馬は追っかけるだけでも苦労している。
ホーリックスの動きに注目すると、イブンベイ・ホークスターの背後について冷静に経済的な位置どりをしていることがよくわかる。
好位追走を地でいく展開。
そして最終直線で満を持して抜け出し。
直線最終盤でのオグリキャップの猛追をクビ差抑えて見事に1着で入線した。
このときの「オサリバンの風車ムチ vs 南井の左ムチ」の壮絶な叩き合いは見るものの心を熱くさせるようで前述の JRA の CM でも印象的に使われている。
走破タイムは衝撃の2分22秒2(オグリも同タイム)。当時の芝2400メートルの世界レコード。
まさに「世界を変えるのに3分もいらない」・「ワールドレコード、2分22秒2という事件」だったのだ。
また、2枠2番でのこのタイムは当時話題になったようだ。
2並びのサイン馬券にしても話ができすぎている。
展開に恵まれたというのはあるかもしれないが、出走馬が真剣に勝ちにいった結果としてのこのタイムは意味のあるものであったように思う。
なお、競馬ライターの須田鷹雄氏は twitter 上で
同じレコードでも平成元年と今回(筆者注、アーモンドアイのレコードタイムのこと)はやっぱニュアンス違うな。
平成元年はイブンベイの狂気からホーリックス・オグリキャップの持続力・精神力にリレーされたが故の凄みがあった。
今回はなんというか、もっとスタイリッシュに超レコードを出されてしまった感じがする。
と述べている。
また、日本滞在時に飼葉を一心不乱に食べていたオグリが、ホーリックスが通りかかったときのみその姿を目で追ったというエピソードも「オグリキャップの恋」としてよく語られている。
ジャパンカップ以降の成績も安定していて7歳時(現在の6歳)にも G1 を勝っている。
7歳秋のコックスプレートというレースで8着に敗れて引退。
以降は繁殖牝馬となった。
繋殖牝馬としてもG1勝馬を産むなど活躍した。
2011年8月に繋養先のケンブリッジ・スタッドで没。
通算成績は40戦して1着17回・2着10回・3着2回(連対率67.5%、これはかなり良い成績)。とにかく健気に一生懸命走る馬だったようだ。
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健気に走る努力家というイメージが強い一方で「オセアニアの威信をかけて日本でジャパンカップを勝ちにいく」という秘めた闘志とそれを実現させた史実には物語性がある。
さっそく pixiv にもウマ娘風のゲームシナリオのような小説が投稿されていた。
(「黒澤ちかう」氏の『太陽に顔を向けろ。影はあなたの後ろに出来るから』)
彼女の名前は、ホーリックス。
今回日本で開かれるジャパンカップのために、来日したニュージーランド出身のウマ娘だ。
ジャパンカップは日本が世界のウマ娘と交流――いや、勝負するために開催されるレースである。
世界の名ウマ娘、とは言わずとも実力を持ったウマ娘たちが熱い戦いを繰り広げる。
と言っても、彼女は全くと言っていいほど注目はされていない。
それは、彼女が来たニュージーランドという地域に由来していた。
彼女が所属するオセアニア地域は、競馬が盛んな地域であるがアメリカやヨーロッパに比べると知名度はそれほど高くない。
彼女の実力は低いわけでもなく、オセアニアのG1でしっかりと勝利を収めている。
が、地域が地域のせいか今回の来日も全く注目も何もされていないのだ。
それを示すように、二人の目の前に報道陣の欠片も無い。
「みんな、頑張ってるのに……」
彼女の耳がそんな言葉とともに、ペタンとたれた。
なかなか面白かったので興味のある方はご一読を。
※・・・なお、ホーリックスの正式な英語綴りは Horlicks だが、HorliX というのもある。
こちらは Mac のアプリです。DICOM という規格の医療画像を表示させるソフト。
やはり競走馬のホーリックスに因んでネーミングされている。
‘HorliX’ was named after not only Horos/OsiriX but also ‘Horlicks’ , a female legendary race horse in NZ.GitHub air-h-128k-il/HorliX より